1 尺アジ ★ :2023/06/17(土) 22:18:00.20 ID:Vxk8tC8W9.net
20~30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。
トヨタ「セルシオ」。またの名を「レクサスLS」。
トヨタ自動車が北米でレクサスLSをデビューさせたのは1989年8月。日本でトヨタ・セルシオとして発売されたのは2カ月後のことだ。登場するやいなや世界中の自動車メーカーを震え上がらせて、その後出てくるクルマに大きな影響を与えた。
そうした意味で、1989年生まれではあるが、『1990年代のクルマはこんなにも熱かった』という本シリーズで紹介するにふさわしい日本車だろう。
ボディサイズ、排気量、そしてコストをかけた作り込み。そのいずれもが旧来の日本車の枠に収まらない力作で、メルセデス「Sクラス」やBMW「7シリーズ」が世界的に席巻していた高級車市場にトヨタが初めて送り込んだ世界戦略車であった。
トヨタの高級ブランド、高級販売チャネルとしてのレクサスをアメリカで定着させた立役者にもなった。日本では2006年までラテン語の「最高」に由来するセルシオとして売られたが、レクサス店の展開に併せて日本でも4代目モデルから名をレクサスLSに改めた。
■待ち望まれていた日本製Sクラス
戦後の高度経済成長はもちろん、バブルを駆け上がる段階でも、自動車市場の主流はミニバンでもSUVでもなかった。クルマで生活レベルを誇示しようとする人々にとってのピラミッドは、あくまでセダンで構成されていた。むろんその頂点にあったのは、メルセデス・ベンツである。
彼らは大きくて高価な順にSクラス、Eクラス、Cクラス(当時は190E)を用意していた。これを迎え撃つ日本勢はといえば、車格的にいえばEクラスどまりであった。トヨタなら「クラウン」、日産自動車なら「セドリック/グロリア」である。そこが頂点でありゴールであったといっていい。
トヨタには「センチュリー」が、日産には「プレジデント」があったが、いずれも法人向けのショーファー・ドリブンカーであり、一般向けではなかった。
すでに1980年に日本の自動車生産台数は世界一になっており、1980年代後半のバブル景気に沸くユーザーにとって、あるいはメーカーサイドにとっても、“Sクラス”を持ち合わせていないという現実は痛痒であったろう。
他方では、日本メーカーの実用小型車のコストパフォーマンスは群を抜いていたから、アメリカ市場を食い荒らす日本車が外交問題にまで発展し、日本が輸出台数を自主的に規制するという事態にまで至った。各社が台当たり利益の大きい高価格車に次のターゲットを定めたのは必然であったといえる。
セルシオのボディサイズは4995×1820×1400mm。当時のクラウンのラインナップで主流だった5ナンバー車よりも全長で305mm、全幅で125mmも大きかった。むろん大きいだけではなく、開発費と生産コストをふんだんにつぎ込み、部品一つひとつの設計と精度にこだわった。
それに伴い生産技術も格段に高いレベルが求められ、これらはその後のトヨタ車全般に大きな影響を与えたといわれる。もっと安価なモデルの性能や生産品質の向上にも一役買ったのである。
■ライバルはこぞって分解して秘密を探った
初代セルシオの一番の特徴は、圧倒的な静粛性だ。エンジン自体の騒音を徹底的に抑え込み、室内との隔壁には高性能な遮音材をたっぷり貼り込む。ワイパーとガラスの摩擦音にまで気を配ったともいわれている。
Sクラスだけでなくロールスロイスやジャガー、キャデラックといった高級車メーカーをも震撼させたほどだった。多くのメーカーがセルシオ(レクサスLS)を購入し、分解して静粛性の秘密を探ったといわれる。
※続きは以下ソースをご確認下さい
6/17(土) 9:02
東洋経済オンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/8db8cd663c5118d6b5de9d80c4300efa807c85bc
(出典 tk.ismcdn.jp)
トヨタ「セルシオ」。またの名を「レクサスLS」。
トヨタ自動車が北米でレクサスLSをデビューさせたのは1989年8月。日本でトヨタ・セルシオとして発売されたのは2カ月後のことだ。登場するやいなや世界中の自動車メーカーを震え上がらせて、その後出てくるクルマに大きな影響を与えた。
そうした意味で、1989年生まれではあるが、『1990年代のクルマはこんなにも熱かった』という本シリーズで紹介するにふさわしい日本車だろう。
ボディサイズ、排気量、そしてコストをかけた作り込み。そのいずれもが旧来の日本車の枠に収まらない力作で、メルセデス「Sクラス」やBMW「7シリーズ」が世界的に席巻していた高級車市場にトヨタが初めて送り込んだ世界戦略車であった。
トヨタの高級ブランド、高級販売チャネルとしてのレクサスをアメリカで定着させた立役者にもなった。日本では2006年までラテン語の「最高」に由来するセルシオとして売られたが、レクサス店の展開に併せて日本でも4代目モデルから名をレクサスLSに改めた。
■待ち望まれていた日本製Sクラス
戦後の高度経済成長はもちろん、バブルを駆け上がる段階でも、自動車市場の主流はミニバンでもSUVでもなかった。クルマで生活レベルを誇示しようとする人々にとってのピラミッドは、あくまでセダンで構成されていた。むろんその頂点にあったのは、メルセデス・ベンツである。
彼らは大きくて高価な順にSクラス、Eクラス、Cクラス(当時は190E)を用意していた。これを迎え撃つ日本勢はといえば、車格的にいえばEクラスどまりであった。トヨタなら「クラウン」、日産自動車なら「セドリック/グロリア」である。そこが頂点でありゴールであったといっていい。
トヨタには「センチュリー」が、日産には「プレジデント」があったが、いずれも法人向けのショーファー・ドリブンカーであり、一般向けではなかった。
すでに1980年に日本の自動車生産台数は世界一になっており、1980年代後半のバブル景気に沸くユーザーにとって、あるいはメーカーサイドにとっても、“Sクラス”を持ち合わせていないという現実は痛痒であったろう。
他方では、日本メーカーの実用小型車のコストパフォーマンスは群を抜いていたから、アメリカ市場を食い荒らす日本車が外交問題にまで発展し、日本が輸出台数を自主的に規制するという事態にまで至った。各社が台当たり利益の大きい高価格車に次のターゲットを定めたのは必然であったといえる。
セルシオのボディサイズは4995×1820×1400mm。当時のクラウンのラインナップで主流だった5ナンバー車よりも全長で305mm、全幅で125mmも大きかった。むろん大きいだけではなく、開発費と生産コストをふんだんにつぎ込み、部品一つひとつの設計と精度にこだわった。
それに伴い生産技術も格段に高いレベルが求められ、これらはその後のトヨタ車全般に大きな影響を与えたといわれる。もっと安価なモデルの性能や生産品質の向上にも一役買ったのである。
■ライバルはこぞって分解して秘密を探った
初代セルシオの一番の特徴は、圧倒的な静粛性だ。エンジン自体の騒音を徹底的に抑え込み、室内との隔壁には高性能な遮音材をたっぷり貼り込む。ワイパーとガラスの摩擦音にまで気を配ったともいわれている。
Sクラスだけでなくロールスロイスやジャガー、キャデラックといった高級車メーカーをも震撼させたほどだった。多くのメーカーがセルシオ(レクサスLS)を購入し、分解して静粛性の秘密を探ったといわれる。
※続きは以下ソースをご確認下さい
6/17(土) 9:02
東洋経済オンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/8db8cd663c5118d6b5de9d80c4300efa807c85bc
(出典 tk.ismcdn.jp)